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 山梨県の西側、南アルプス山麓に位置する八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が、2003(平成15)年4月1日に合併して南アルプス市となりました。市の名前の由来となった南アルプスは、日本第2位の高峰である北岳をはじめ、間ノ岳、農鳥岳、仙丈ケ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳など3000メートル級の山々が連ります。そのふもとをながれる御勅使川、滝沢川、坪川の3つの水系沿いに市街地が広がっています。サクランボ、桃、スモモ、ぶどう、なし、柿、キウイフルーツ、リンゴといった果樹栽培など、これまでこの地に根づいてきた豊かな風土は、そのまま南アルプス市を印象づけるもうひとつの顔となっています。

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【連載 今、南アルプスが面白い】

山梨最古の桃とブドウは南アルプス市から
~遺跡から見つかる果実~

 南アルプス市も夏本番となり、市内の果樹園を彩ったサクランボの真っ赤な実も、早くも桃やスモモへとうつろってきました。いずれブドウに柿と、季節とともに果物たちも移り変わります。リレーのように様々な果物に出会えるのもまた南アルプス市の特徴的な姿といえます。
 7月に入りご近所さんや知り合いの方に桃を頂くことも増えてきました。南アルプス市では、「果物は買わずともいただけるもの」と言われるくらい、実際にいただく事も多いのですが、そのやり取りは一種の風物詩といえます。
 実は、南アルプス市と桃との歴史は古く、なんと弥生時代まで遡ることができます。今回のふるさとメールはそんな大昔からの物語をご紹介いたします。
 
 現在ふるさと文化伝承館では「“にしごおり果物”のキセキ」と題したテーマ展を開催しています。展示では主に、「扇状地」という決して恵まれた土壌とは言えないこの地域の土地とどのように向き合い、どのように乗り越えてきたのかを紐解いています。主に明治時代以降、木綿・たばこ・養蚕と主力生産物が変わりゆく中で、一貫して果樹栽培に挑戦し続け、他の地域を圧倒した知恵と行動力で、この地域独特の果樹栽培を展開させていきます。
 
 では江戸時代以前の果物の栽培についてはどうでしょう?柿の加工や野売りなど、古文書に記されているものもありますが、それらはほんのわずかであり、多くは実態がわかっていません。それこそ、実物が出てこない限りわからないという状況です。

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【写真】テーマ展「“にしごおり果物”のキセキ」チラシ

 

山梨最古の桃とブドウは南アルプス市の遺跡から発見された!
 実は、大昔の果実の実態が遺跡の発掘調査で判明することがあります。でも、そもそも遺跡から果実が出土するのでしょうか?あくまでも出土するのは固い殻に包まれた種子などが主で、実の部分が出土することはありません。種子だとしても、有機物は通常の土壌では腐食するためほとんど遺ることはなく、種子が炭化している場合か、沖積低地の水分の多い泥や粘土の土壌の場合など、特殊な条件の時に遺存することがあります。低地の土壌に立地する遺跡では空気が遮断されるため有機物が腐食せず遺存することがあるので、当時の暮らしを解明するヒントが多く、情報の宝庫といえます。実際に南アルプス市の果物の種実は低地の遺跡から発見されたものばかりです。

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【表】果実の発見された遺跡の年表

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【図】果実の発見された遺跡の分布図

 実は、山梨で最古のブドウと桃の種は今から2000年以上前の弥生時代の南アルプス市の遺跡から発見されています。甲西地区にある大師東丹保遺跡の弥生時代中期(約2400年前)の種子です。
 ブドウは現在と比べて小型であり、ヤマブドウやエビヅルなどの野生種と考えられています。隣の地域にあたる宮沢中村遺跡からは江戸時代後期のブドウの種子も出土しています。いずれにしてもやはり水つきである田方地域の遺跡から発見されているのです。

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【写真】大師東丹保遺跡の弥生時代中期(約2400年前)のブドウ属の種子

 

桃は邪を祓う?~遺跡から出土する桃~
 遺跡から発見される桃の実は「核」や「桃核」と呼ばれます。「核」とは種を包む殻のことで、私たちが桃を食べる時に一般的に「タネ」と呼んでいるもののことです。 
 山梨での最古の桃核の出土例は先ほどご紹介した通り、南アルプス市の大師東丹保遺跡の桃核で、弥生時代中期(今から約2000~2400年前)の遺構や当時の土層から6点も出土しています。大師東丹保遺跡では、このほか弥生時代後期、古墳時代、鎌倉時代の遺構からも発見されており、連綿とモモが存在していたことがわかっています。

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【写真】弥生時代中期の大師東丹保遺跡の桃核

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【写真】弥生時代中期の大師東丹保遺跡の桃核6点

 そのほか中川田遺跡(甲西地区)では古代の、さらに二本柳遺跡(若草地区)では古代から中世にかけて100個体以上、また宮沢中村遺跡(甲西地区)でも、中世、江戸時代と二時期で大量に出土するなど、市内の各遺跡から各時代を通して発見されています。

 桃は昔から不老長寿をもたらすと考えられていたり、神や仏に力を授ける果実と考えられたりしました。そのような桃の花が咲き誇る姿から中国などで桃源郷という言葉が生まれています。
 桃は日本の「日本書紀」や「古事記」などの神話にも登場しています。イザナギが黄泉の国で鬼女(悪霊とも)を桃の実を投げつけて追い払い逃げ切ったという話は有名で、このことから桃の実には「オオカムズミノミコト(意富加牟豆日命)」という神の名がつけられたそうです。桃が「邪を払う」ものとして考えられていたことがわかります。
 また、昔話「桃太郎」もまさにそうですよね。桃から生まれた桃太郎が鬼退治に行くわけですから、やはり桃が鬼を祓うという考え方のもとに生まれた物語です。ちなみに、風水では鬼は「鬼門」という方角からやってくると言われます。昔から中国や日本では方角を干支で表してきましたが、鬼門というのは丑寅の方角です。時計で言えば1時2時の方角ですね。丑寅という方角が鬼、、、そうです、トラ柄の腰巻に牛の角。まさに鬼の姿は丑寅から発想されていたようです。ちなみに裏鬼門と言われる方角は時計の7時8時で、干支でいうと羊猿です。裏鬼門の上を抑えているのが申酉戌でして、猿、キジ、犬に通じるとも言われています。
 あくまでも一例ですが、これらのように桃は昔から邪を祓い、福をもたらすと考えられていたようで、南アルプス市の遺跡からもその様子はみとめられます。

 大師東丹保遺跡では、桃核は水田や流路などの水とかかわる地点から出土したり、またその際に祭祀に用いられるとされるおまじないの道具である「斎串(いぐし)」とともに出土するなど(古代)、桃が祭祀に用いられた状況がうかがわれます。悪水や濁流、悪い病気などが水田に入ってこないように祈られたようです。
 また、中川田遺跡(甲西地区)では平安時代の桃核が大量の馬の骨とともに出土していることから、雨乞いや水しずめなど、馬をいけにえとした祭祀「殺馬祭祀」でも使用されたものと考えられているのです。
 南アルプス市の遺跡からの出土事例によっても、桃は食用としてだけでなく、邪を祓うなどの祭祀に用いられてきたことが証明されています。

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【写真】斎串とともに大量に出土した桃核

 

桃の「核」
 遺跡から出土する桃の核は、中国では約7500年前まで遡ることがわかっており、日本では、縄文時代前期(約6000年前)の九州の遺跡から出土し、その後縄文時代中期には東日本からも出土しています。縄文時代の桃の核の長さは20㎜程度が多いようです。
 弥生時代になると出土数が大幅に増加します。出土した桃核の核長や厚みを検討してみると、全国的に比較して、大師東丹保遺跡の弥生時代の出土例は比較的大きいといえます。ただし、その形は縦長のものや頂点が鋭いもの、丸みを帯びたもの、筋の深いものなどと、形態にばらつきがあります。また弥生時代後期には丸みを帯びたものが多い印象があり、これらの形態の違いは種類が違うのではないかとする研究もあります。
 また、鎌倉時代では大小にばらつきがみとめられるようですし、平安時代には全国的に小型化することが指摘されており、中川田遺跡の例は平安期にしては大きいと考えられます。全国的に見ても、中世までの桃核は、例えば時代が下るにつれて大きくなるなどの傾向は認められないようです。しかし、宮沢中村遺跡でわかるように江戸時代以降の大型化は顕著となります。平均3.71センチメートルは、現在(少し前)の桃が3.5~4センチメートルですから、ほぼ同じ大きさといえ、これらはやはり、栽培などの人間の手が加わったことによる変化とみられます。

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【表】遺跡から出土した桃核の大きさ比較

 実はこれらの桃核もふるさと文化伝承館のテーマ「“にしごおり果物”のキセキ」では展示しています。桃は江戸時代には栽培していたことは確かですが、古文書などの資料が非常に少ないため詳細はわかっておりません。しかし、ちょうどそのころの桃核が遺跡から出土して現存しているのです。是非展示されている江戸時代の桃核、そして弥生時代の桃核もご覧ください。
フルーツ王国南アルプス市のある種の「ルーツ」に出会えます。

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【写真】展示の様子

【南アルプス市教育委員会文化財課】

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